さらって読んでも1分くらいしかかかりません(多分)
もちもちおです。今日は話し口調で書いてみたいと思います。こういうのエッセイっていうんやろうか?まあわからんけど始めますね。
大は小を兼ねる、と言いますよね。この意味を子供の頃はわからないので、ずっーと考えてたんです。そして、出た答えが、
「トイレに行って、大をしたら、小も出ます」
というモノでした。
まあ、この程度の少年時代を過ごしてたわけです。
一応、辞書にはこう書いてあります。
「大きいものは、小さいものの役目もすることができる。」
まあ辞書もこの程度のことしか書いてくれないなら、子供の頃の僕も意味がわかるようで、わからんような、なんかモヤモヤ、ムカムカした気持ちになったから、トイレの解釈になったんやろと思ってます。
話は変わりますが、と言ってもそんなに変える気はないのですが、どっちかというと、さっきの大は小を兼ねるを逆にして有効活用出来ないもんかと、考えてみたらあったんです。
それは、精神的にまいってたり、ストレス過多になってる人は、こう考えたらええんとちゃうかなって、大は小を兼ねるよりも、
小は大を兼ねる
の方がええんとちゃうかな?と思ったわけです。
くれぐれも、トイレで小したら大もする、とかとちゃいますよ。小して必ず大がオプションで出てたら、えらいことになるやんね。そんなのオプションとちゃうし。
話戻します。
精神的にまいってるときって、何もやる気が出ませんよね。やる気が出ないなら出ないでいいんやろうけど、あんまりその良くない調子が長いこと続くと、本人もそろそろヤバいな、動かんとヤバいな、何か大きな決断をしないとヤバいな、って思ってくるわけです。
決断っていうたら、あれしなきゃ、これしなきゃ、早く会社に復帰しなきゃ、今日は普通の人と同じようにテキパキと動かなきゃ、と色々わるわけです。
この決断の規模というか大きさは、ちょっと考えやなあかんと思ってます。
精神的にまいってる人は、他人と比較しがちやないかなと思ってます。あの人(一般的な人)は普通に1人で電車に乗れる、美容院や歯医者にも行けてる。でも、私はこんなんやから、何も1人で出来ないし、1人でいるのも恐し、外にももう何年も出てない…みたいな。
こんな思いのときの決断は、大きくなりがちやないかと思います。大きくなりがちな理由は、もうわかると思いますが、早く〇〇しなきゃという思いの「早く」から来るものやと思ってます。
早く、急いで何かをしようと思ったら、いきなり大きなことに注目してしまうってことですね。つまり大きな決断となってしもてる。
精神的にまいってる人だけじゃなくて、人っていきなり大きな決断したとこで、中身が無かったら、ボロボロに叩き潰されてしまうだけやと思います。
この中身とはステップのことを言うてます。大きな決断だけしててもあかん。中身として小さなステップがいくつもないとあかん。そのステップ踏んでいく方がボロボロにならんと、目標にたどり着けるもんです。
だから電車に1人で乗る!っていう大きな決断するんやったら、中身のステップとして、まずは家の玄関から外に出てみる。それが出来たら、駅まで歩いてみる。っていうても、歩いてる途中に怖くなったりしたら、そこで止めたらええ。家に戻ったらエエねん。今日はそこまでや。ほんで、次の日また同じ挑戦したらエエねん。家の玄関出れたら、また駅まで歩いて、うまく駅まで着いたら、切符買って、もうこれ以上はダメ、怖いって思ったら、駅員さんに助けてもろたらエエねん。他人は案外と優しい人の方が圧倒的に多いから。
こんな小さいステップをたくさん踏んでいくねん。ほんだら前に前に進めるから。3歩歩いて2歩下がる、っていう歌の詩があるけど、うまいこと言うてるよな、1歩は進んでるもん。
まあ、こんな具合に大きな決断はせんと、小さい決断(ステップ)踏みまくって、大きなもの(電車に乗る)を掴まえて欲しいわ。
絶対出来るから。これ他人事で書いたんとちゃいます。僕もそんなことがあったり、あるからと思って書かせてもらいました。
大は小を…とちゃうで、
小は大を兼ねる。
ほんじゃまた。
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